無風を待つ人の記録

風に流され生きてきた 風が止んでも生きていたい

観た映画: "Life During Wartime"


Life During Wartime Official HD Trailer - Todd Solondz


Varsity Theaterにて鑑賞。トッド・ソロンズ監督の最新作。主題歌はデヴェンドラ・バンハート。役者もストーリーも全く別物ながら、キャラクターと設定は「ハピネス」を引き継いでいる。一種の続編だけども別に本作のために前作を観ておく必要はない。


(ネタバレ等の配慮は特にしてないので、以下一段隠しておきます)


同性愛に人種差別に宗教に、とありとあらゆるアメリカ的タブーに頭から突っ込みながら、それを透徹したブラックユーモアで撮ってきた監督だけども、本作では若干その毒が弱まっている印象。
もちろん端々でどぎついブラックユーモアが飛び出してくるのは相変わらずで、けして衰えを感じさせるものではないのだけど、今回は明白に政治的(そして良くも悪くもキリスト教的な)メッセージを感じられるためにそういう印象を受けるのかもしれない。


"forgive"と"forget"という二つのキーワードが作中頻繁に登場する本作は、他者の過ちを私たちはどこまで赦す、あるいは忘れてあげることができるのか?を始終問いかける。


本作には「ハピネス」に引き続きペドフィリアの父親というキャラクターが登場するが、監督自身はペドという題材そのものにはさしたる興味はなく、単に「この世で最も嫌悪されている種類の人間」の事例として引き合いに出しているに過ぎないという。監督はインタビューでこんなことを言っている。

To what extent can we open ourselves up to that which is most-demonized; that which is most-“other.” Can we embrace everyone “except”? Except what? What are those lines? And what does it say about us?

>> Interview: Todd Solondz Examines How to Survive ‘Life During Wartime’


こうした問いかけは、現代の多くのアメリカ人が抱え、発生から9年が経とうとしている今もどう処理すればいいのかわからないでいる、9/11に関わるテロリストに対する感情に対しても向けられている。作中で、ペドフィリアで逮捕された父(服役中、子供たちには彼は死んだものとされている)を持つ少年が、母親とその新たな恋人に問いかけるシーンは監督のこの意見をストレートに代弁している。「ママたちは、十分な理由があってそれをやったとわかれば、9/11のテロリストたちのことを赦すことはできる?じゃあ、僕のパパのことは?」もちろん大人たちからは、自由と民主主義がどうとかいうつまらない答えしか出てこないのだけれど。

“You would forgive the 9/11 terrorists?” one asks incredulously. “You can’t forgive those terrorists,” says Timmy. “They’re all dead.”

The Economist: The sins of the father


戦時下という設定でもないし、戦争の話も出てこないのに"Life During Wartime"という題名は一見いかにも妙な感じがするけれど、見終わってみればそんなに難しい比喩でもない。本作で何重にも強調して描かれている、赦すこと・忘れてあげることの絶望的な難しさ、そして、それが上手にできなかったがために起こる更なる悲劇は、「なぜ戦争がなくならないのか」の答えのひとつ、そのものだ。「戦時中の生活」とはまさに作中に描かれていた市井の人々の営みのこと。誰かのことを赦したくとも赦せないでいる、忘れてあげられないでいる、そうした苦しみの鎖に魂を繋がれて生きる我々の生き様のことなのだ。


ラストシーンでは希望を持たせると同時に非常に残酷な結末を示唆して終わる内容なのだが、個人的にこういう見せ方は好きな部類。「いずれ中国が全てをかっさらっていくんだから、それ以外の全てのものは無意味だ」と言い切る(というか、たぶんこれを言うためだけに登場している)かなり強烈なサブキャラがいるのだけど、登場シーンは非常に少ないのに最後の重要な立ち位置を持っていっているのがたまらない。監督もこのキャラ気に入ってたんだろうなーと思う。このキャラの以下の台詞はまさにソロンズ節の代表格といった感じで、最後の本当に重要なシークエンスの中でズバーンとかましてくれる。

Forgive and forget is like freedom and Democracy. In the end, China will take over and none of this will matter.


(追記)
思うに監督自身は一貫して究極の博愛主義者たろうとしているのだろう。自分にとってが最も遠く理解しがたい"most-other"な存在を提示して、観客の中の小奇麗な道徳に揺さぶりをかける姿勢は、これまでのどの作品にも一貫して見られていた。博愛や平等や人権を賛美しつつ死刑の存在にも特に反対しないというような、人並みの(あえて悪く言えば中途半端な)人権精神で好しとしている人たちは、結局自身の(もしくは誰かの)決めた身勝手なラインでもってその博愛精神の適用範囲を規定しているにすぎないということを思い切り突きつけている。耳の痛い話だ。