無風を待つ人の記録

風に流され生きてきた 風が止んでも生きていたい

「窃盗の罰として車に腕を轢かれるイランの少年」とされた写真がネット上で拡散し、反イスラム感情を煽った出来事について

2004年頃に起こった、とあるパフォーマーによる「車に腕を轢かせるふりをするストリートパフォーマンス」の写真が「窃盗の罰として車に腕を轢かれる8歳のイラン人少年」として主に英語圏のネット上に出回り、ネチズンたちの反イスラム感情を煽った顛末について。

日本でも最近Twitterを舞台としたデマRT拡散問題がよく取り沙汰されるというご時世でもあるし、少しここにまとめておこうと思う。

デマがどのように形成されるか、それが(この場合は民族感情という)バイアスの働きによって、一般的事実との矛盾があるにも関わらずどのように受け容れられ拡散したか、そしてそれが如何に訂正しがたく、何年もの間ネット上を流通し続けるか、そういったことがものすごく典型的に現れている事例だと思う。

基本的には海の向こうでの出来事だけれど、我々日本人にとって無縁なことではないのは今の風潮をご覧の通り。


まず、2004年当時の「窃盗の罰として車に腕を轢かれるイランの少年」と題打った記事で、現在も参照できるものが以下にある。


>> Iranian Boy Has Arm Run Over For Stealing - Brought to you by Dumpalink.com


コメント欄の爆発炎上ぶりがおわかりいただけるだろうか(ノイズもめちゃくちゃ多いけど)。2004年という時期を考えてみても、どのような認知バイアスがここに生じているかは、おそらく語るまでもないと思う。

自称イラン出身者の「こんなことイランではありえない。中東ではこんなことが普通だなんてお願いだから信じないでくれ」という書き込みもあるし、同様に虚偽を指摘する良識派のコメントも確かにあるのだが、案の定多くのヘイトコメントが並んでいる。

当時はメールを中心に流布していたそうで、一番拡散していた頃の雰囲気を感じられるものを今Web上で確認することは難しい。代わりに今では多くの訂正指摘記事を確認できる。


>> snopes.com: Islamic Justice -- Boy Punished for Stealing Bread
>> Opinion: Iranian boy has his arm crushed by a car for stealing bread


一応これらの記事に基づいて事の真相について説明しておくと、この写真の出処はイランのPeykeiranというニュースサイトの記事で、一連の写真の最後に「パフォーマンス後の何ともない腕を見せる少年の写真」があったものが、おそらくは恣意的に削除されて流布されたものと結論づけられている。*1

デマ記事の暗黙の根拠として「目には目を、歯には歯を」という有名なフレーズがあるが、実際には窃盗に対して腕を落とすというのはシャリーアイスラーム法)を最大級に厳しく解釈した場合の最高刑であって、特に"puberty"(イスラーム法における未成年者のこと、15歳未満)の場合などはこういう「同害報復」の適用外だと述べられている。*2たしかにこの記事はデマであるようだ。

それにしても、少年は「パンを盗んだ」ということにされているけれど、その程度の軽犯罪でも「腕を轢き潰す」というのはさすがに不自然だとは思わなかったのだろうか。いちいちそんなことをしていられるほどあちらは窃盗犯罪が少ないなんて、考えにくいと思わなかったのだろうか。思わなかったのだ。だから流布したわけだ。

イスラムの風潮が昂っていた当時、多くの人の目が曇らされていたこともこれらの記事は示している。*3



ところで、6年も前の出来事を今わざわざまとめているのにはもう一つ理由があって、最近になってあるロシア語のサイトでも「窃盗の罪で〜」というキャプションで取り上げられていたのを知ったからだ。*4
2009年にもYouTubeにデマのほうの動画がアップロードされていた。*5
"Iranian Boy Has Arm Run Over For Stealing" で検索してみると、収束した後も時々このネタで記事やスレッドが立てられているのがわかる。

一度発生したデマの波は収まらず、いつか都市伝説となる。*6



ちょうど先日、"Where in the World Is Osama Bin Laden?"という映画について感想を書いたけれど、その映画では、欧米(主に米国)がイスラム文化圏に対して抱く「無理解から来る漠然とした恐怖感情」について描いていた。今回の事例の背景にもまさにこれがあったんでは?というのが自分が上の出来事に関心を持ったもうひとつのきっかけだった。

日本人もまたあんまり中東の文化や暮らしや人々をよく知っているとは言えない。過激派のテロだとか、ジャーナリストの拉致だとか、名誉殺人のような極端な風習だとか、そういう「貧困、テロ、理解を超えた暴力」の話題でしか我々の目に触れないのだから、「中東はコワイところや」ってぼんやり思うようになっている。

何が起こっててもおかしくない、子どもがパン盗ったくらいで車に腕を轢かれてたっておかしくない、そんなオソロシーことがあるなんて、やっぱりあそこは思った通りコワイところや、くわばら、くわばら・・・

その時点で、我々は無理解の恐怖に耳目を狂わされている。

今回はたまたま個人的にタイムリーだったので釣られずに済んだけれど、今までも知らず知らずのうちに誰かに対して同じことをしていないだろうか?*7

考えさせられる出来事が連続した今日この頃だった。



最後に定番の一言を引用。

"Fere libenter homines id quod volunt credunt." - Caesar
(人は自分が信じたいと望むことを喜んで信じる - カエサル

*1:そもそもイラン人でなくインド人であるという説も。

*2:こちらの記事で説明されている「同害報復刑」の項でも「加害者が成人で知的に成熟しており〜」という条件がついている。

*3:ついでに、盗んだものが「パン」というのも多くの人の同情を引いたポイントだ。「レ・ミゼラブル」や聖書の寓話に慣れ親しんできた人に最も効果的に「物語」を想像させたければ、ここは絶対にパンでなければならない。

*4:http://www.wyllf.ru/zhest/93765-rebenka-nakazali-za-krazhu-6-foto.html

*5:http://www.youtube.com/watch?v=SJDE0Xs94KE

*6:本件の場合は、比較的しっかりとしたパーマネントなまとめ記事が検索性の良いところに複数あるのでまだ良い方だとは思うけど。もし将来日本語で流布しそうになったらこの記事がストッパーになってくれるといいな。

*7:「日本人もまた〜」からこのあたりまで2011/01/25に追記。