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無風を待つ人の記録

風に流され生きてきた 風が止んでも生きていたい

ウィリアム・フォークナー / 「アブサロム、アブサロム!」

アブサロム、アブサロム! (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-9)

アブサロム、アブサロム! (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-9)


長い長い長い月日をかけて読了。遅読に定評のある自分だがこれは本当に時間かかった。物語の入り組み方に相似するように、一文一文もまた長ったらしく指示代名詞の多いわかりにくいもので、時代背景も馴染みの薄いものであることも相まって非常にとっつきにくかった。だけれども、何人もの語り手あるいは聞き手を通じて、一人の男を中心としたある時代のある家系にまつわる数奇な因縁が、またその運命の根底に横たわる南部という土地そのものに血とともに染み込んだ宿業が、おぼろげな輪郭から少しずつ少しずつ間接的に描き出されていくにつれ、じわじわとその世界に引き込まれる。


その物語の真相が、あらゆる直接的描写を拒んで、あくまで仲介役の推測と想像により一切の真実性の担保がないまま紡がれていくのとは対照的に、その情景や心理描写は非常にビビッドで映像的で、重箱の隅から採取した微粒子を光学顕微鏡とクロマトグラフィーにかけていくかのように執拗に執拗に細部に入り込んでいく。特に「匂い」を想起させる記述が多いのか、何かしらむせかえるような南部臭のようなものが文面からむわっと漂ってくる気がする。


その場にいるかのようなリアリティ(現実感とか臨場感といった意味で)を感じさせながら、かつ真実性を感じさせない物語り方は、池澤氏の解説のとおり、すごく神話的な感触がある。物語自体に超常的な要素は何もないのだけれど。


しかし私にとって一番魅力的だったのはそういう時代感や物語展開や文体などではなく、登場人物だった。


伝聞の中で陽炎(あるいは亡霊)のようにしか浮かんでこなかった曖昧な影たちが、後半に近づくほど驚くほどの人間臭さを見せ始める。それに呼応するように、別の時間軸の登場人物である語り部たちもまた、語りを進めるにつれ感情が神話の中にどんどん取り込まれてゆく。このあたりの描写は非常に素晴らしい。神話のような語りの圧力に決して押し負けない巨大で強靭なキャラクターに、人間らしい体臭を同時に持ち合わせた稀有な人格たち。


一方でなんというか、読んだ方はみんな感じたと思うけど、出てくる語り手の人々は誰もかれもがそんな風に異常なレベルで過去の情景やそこにいた人物の心理を細かく再現できる想像力を持っていて、それをまた共通して特徴的な冗長・饒舌な語り口で延々と語っていくのは何とも非現実的な感じで、出てくる人物全員にフォークナーという「中の人」が強烈に透けて見える。ほとんど全編が何十ページ単位というスケールの大きい鍵括弧の中で(当然のように鍵括弧もどんどん入れ子になりつつ)展開し、地の文との境界が限りなく曖昧になっていくので、その印象はさらに強くなる。


そう、最終的には作者もまた神話的世界の中にいるのだ。自ら作り出したヨクナパトーファ郡ジェファソンという架空世界の創造主として。




抑揚も論理構成もへったくれもなく書き倒して何が「そう(キリッ」なんだかわかりませんが、要するにとても面白かったです。物凄く時間がかかったのに、まだ再読したいと思える作品でした。ごきげんよう。